愛犬と登山 パピヨンと高山200回以上の教訓 
       
 

 愛犬は公園でノーリード
 動物愛護法と犬 公園ノーリードの犬達の写真集1   


    関連随想
                

     小犬のしつけと訓練 パピヨン写真集1 公園犬ノーリード禁止は条例の曲解だね

        
西東京市のノーリード禁止の理不尽な根拠!


        東京都西東京市が個人ブログの言論弾圧!
         憲法法律違反の愚行だ!

        
言論弾圧!東京都と西東京市がブログ荒し!
         偽装だらけの犬の世界9

        プロバイダ責任法で愛犬ブログをつぶす!
        
  西東京市役所の部長がブログ荒らし!  

         東京都の公園課は条例違反 の伏魔殿だ! 

        小犬のしつけと訓練 パピヨン写真集1 東京都公園管理者条例違反症候群で重症だ

       小犬のしつけと訓練 パピヨン写真集1 東京都公園協会は条例違反の民間会社
 
       小犬のしつけと訓練 パピヨン写真集1 東京都立公園条例にノーリード禁止はない!

       小犬のしつけと訓練 パピヨン写真集1 ノーリード禁止の法的根拠を示せ!小役人!
        
         ウソつきだ!条例にノーリード禁止の例外

        
公園で愛犬ノーリード51編の随想集

              
                            

 しつけのよいおとなしい愛犬は公園でノーリードで訓練、調教しても法律条例に違反しない。法律条例に違反しているのは公園にある[犬の放し飼い禁止]の看板だ。
それを立てた市役所の憲法法律条例に無知蒙昧でコンプライアンス(法令順守)の意識が希薄な職員だ

目次
公共の利益に関する真実の公表は名誉毀損にはならない!
犬の係留(リード)を規定している法律はない。条例があるだけ。 
警官は法令を順守している。公園管理者も見習うべきだ。
「国が定めた法律がある」という公園管理の課長の虚偽発言。 
公共施設だから犬放し飼い禁止」は動物愛護法2条と地方自治法244条違反。 
犬嫌いの人もいるから、犬放し飼い禁止」と広報掲載。好き嫌いで禁止?
犬の放し飼いを取り締まる市民を広報で募集。餓鬼大将と同じ発想。
砂場に糞をするから、ルールを作った」と広報に掲載。まるで独裁将軍様。
 砂場に柵をして解決した東京都練馬区の公園がある。 
手洗い用の蛇口から犬が水を飲むのを禁止する掲示。動物愛護法2条違反。 
10 アテネは犬は放し飼い。飼い主のいない犬も手厚い保護とNHK放映.。
11 公園でーリードでのびのび遊ぶいろんな犬達の写真集
 
1 「公園は市役所のものだから、公園管理者がルールを作ってもいいのだ。」と西東京市の公園緑地課の課長(рO42-464−1311 内2434)とその部下が言った。小犬でも、犬は犬だから、リードを付けろと強制した。断った。
 このサイトを開設して丁度2ヶ月目の2004年10月8日金曜日、文理台公園でいつものように小犬をノーリードで訓練調教していた時のことである。課長が部下を連れて来て、弁護士と相談し、こちらを名誉毀損で提訴することを検討したと言った。脅しをかけたつもりだろうか。
 「名誉毀損罪が成立すると思うなら、どうぞお好きなように」と答えた。
公務員の場合、公共の利益に関する事実を摘示し、真実であれば氏名を公表してその名誉を毀損しても処罰されない(刑法230条の2)。
 このサイトで関係者の氏名を公表してないのは個人的な恨みはないからだ。公園での犬の放し飼い禁止の行政行為は憲法法律条例違反だと、ものが言えない犬に代わって言っているだけだ。動物愛護法の趣旨を尊重し、愛犬にはできるだけ犬本来の習性を生かした飼い方をしてあげたいからだ。
 ノーリードの好きな人は堂々とやればよい。恥じることはない。恥ずべきは不法行為をしている市役所の職員だ。

 リードの好きな人はリードをすればよい。市役所が身勝手に作るルールやマナーが正しいと思う人はそれに従えばよい。個人の自由だ。
 ただし、市役所の禁止看板のように、それを他人にまで押しつけるのは、それこそ身勝手で、偏見の押し売りだ。
 憲法法律条例に違反しているルールやマナーを押しつけられるのは良識のある善良な市民としては受忍できない。迷惑千万だ。
 無法な小役人が教祖の動物虐待に通じるルール教マナー教に入会し、信奉する気はない。動物愛護法が泣き、犬が悲しむ。その習性を生かした飼い方をする。

 「当初は乱立する犬の放し飼い禁止の看板の撤去について、市長を被告に提訴するつもりだったがやめた。公園での犬の放し飼い禁止は西東京市だけの問題ではない。全国的な問題だ。長期戦で戦うことにした。だから、サイトは10年くらいは続ける。」と付け加えた。困惑した顔をしたが、反論はなかった。

 嫌がらせをするつもりだろうか、インターネットに関する非常識なことを執拗に要求してきたが、断った。「警察に話しても相手にされないよ」と教えた。公権力によるプライバシーの侵害として提訴される事項と理解した方がよい(地方公務員法、電気通信事業法の守秘義務)。
 インターネットで広く使われている「誹謗中傷」は法律用語ではないことを知っているのだろうか。

 「公園は市役所のものだから」という考えが間違っている。「市民のものだ。その費用のすべては市民の税金が元になっている。」といったら、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして、返事がない。市役所のものと思いこんでいるのだろう。
 地方自治法第244条は住民が公の施設、すなわち、公園を利用することについて、正当な理由がないかぎり、拒んではならない(2項)と規定し、利用することについて、不当な差別的取り扱いをしてはならない(3項)と規定している。法の趣旨は公園は市民のものということが前提になっている。公園での犬のノーリードを禁止する正当な理由があるというのか。正当な理由はない。都道府県条例は犬の係留(リード)の例外を認めている。

 小役人は自分のものと他人からの預かりものとの区別ができないようだ。
 社会保険庁の小役人は国民からあずかっている保険料で、自分達だけが利用する豪華研修施設を作り、ゴルフボール代も保険料を流用していたことが発覚し、社会保険庁の解体的な改革の必要性が指摘されている(2004.6.5 産経等)。

 西東京市の公園緑地課の課長とその部下も、公園は市民からの預かりものという意識がない。
自分達が勝手にどのように管理してもよいものと思っている。だから、市民が公園を利用しようがしまいが、どうでもいいことで、自分勝手に何でも禁止してよいと思いこんでいる。
 西東京市の公園はいろんな禁止看板が乱立している。公園の美観を損ねているだけでなく、財政難なのに税金の浪費だ。下欄に詳述してある。

 「公園管理者がルールをつくってもいいのだ。」ということについては、「それが憲法違反ということだ。何のために三権分立の制度になっているのだ。」と言ったら、二人ともその意味がわかったのか、わからないのか、しばらく無言。
 公園での犬の放し飼いは法律条例では禁止されてないので、公園管理者が自分の一存で勝手に禁止のル−ルを作り、それを市民に強制しても良いと思い込んでいるようだ。それを許すと、どんな悪政でもできるのだ。その防止ために、市役所などの行政機関には立法権、即ち、ル−ルとかマナ−を勝手に作って市民に強制することを憲法は認めてない。このことについては下欄に詳述してある。

犬の係留(リ−ド)に関する条例 2 の係留(リード)について直接規定している法律はない。
 改名改正され平成12年に施行された「動物の護及び管理に関する法律」(動物愛護法)にも犬の係留は直接には規定されてない。
 この法律をうけた環境省の平成14年の告示[家庭動物等の飼養及び保管に関する基準]には「犬の所有者等は、犬を道路等屋外で運動させる場合は、犬を制御できる者が原則として引き運動により行うこと。」とあり、例外があることを認めている。
 
 東京都の係留(リード)を規定している条例「東京都動物の保護及び管理に関する条例には、係留の例外として「その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、規則で定めるとき。〔9条1項(二)〕」を上げている。
 その施行規則には犬の飼養の特例として「犬を制御できる者が調教するとき。〔6条(ニ)〕」とある。


 しつけのよいおとなしい愛犬はこの例外規定に該当する。大きい犬でも他人に危害を加えるおそれがない犬なら該当する。即ち、公園で愛犬を訓練したり、調教したりする場合、リードするかどうかは、飼い主の判断で決めて良いということだ。事故が起これば、当然飼い主が責任をとる。
 
 公園に犬のトラブルによる責任はとらないと掲示を出している西東京市公園緑地課(рO42-464−1311 内2434)の課長が市民に犬の放し飼い、つまり、ノーリードの禁止を強制するのは不合理だ。責任と権限は表裏一体のものだ。責任はとらないで、禁止する権限だけを行使している。しかも、条例に違反して、人に危害を加えるおそれのない小犬のノーリードまで「犬だから」と禁止するのは越権行為であり、違法行為だ。
 75ヶ所もあるという西東京市の各公園には〔犬の放し飼い禁止〕のアムミ製で高さ2mほどの大きな立て看板が20m間隔ほどに乱立している(右の写真)。
 運動場ほどの広さの文理台公園には9個も乱立している。その他に公園の出入り口に〔犬の放し飼い禁止〕の掲示がある。計14個もある。西東京市の他の公園も同じように乱立状態だ。
公園における禁止掲示の設置密度は日本一、世界一かも知れない。他に例を見ない。

 市民が市役所の犬放し飼い禁止の立て看板を無視するので、沢山立てたとのこと。沢山立てれば、市民が従うとでも思っているのか。市民を愚弄し、市政を自ら汚している。

 赤字財政なのに税金の無駄使いだ。公園の美観も損ねている。その上、犬嫌いの人の後押しをして、愛犬家嫌犬家の市民のいがみ合いを助長している。傷害事件も起きかねない状態だ。それが市政の「市民へのサ−ビスの向上」か。愛犬家市民へのいやがらせだ。更に、法律条例違反の悪行政だ。

 それだけではない。乱立する禁止看板を見ても、それを無視し、従わない多くの市民がいることを子供達も見て育つ。ノーリードの犬と走り回って遊んだ方が楽しいのに、なぜ禁止するのだと素直に疑問に思う。市役所の言うことは聞かなくてもいいのだと思うようになる。
 大人不信、社会不信の根源になる。
 西東京市長にその立て看板の撤去を命じることを市民として求める。法律条例に無知蒙昧な不良職員による悪行政だ。市民として受忍限度を超えている。


 東京都動物の保護及び管理に関する条例第9条の全条文

(大の飼い主の遵守事項)
第9条 犬の飼い主は、次の各号に掲げる前項を遵守しなければならない。

一 大を逸走させないため、犬をさく、おりその他の囲いの中で飼養し、又は人の生命若しくは身体に危害を加えるおそれのない場所において、固定した物に綱若しくは鎖で碓実につないで飼養すること。ただし、次のイからニまでのいずれかに該当する場合は、この限りでない。
 イ 警察犬、盲導犬等をその目的のために使用する場合
 ロ 犬を制御できる者が、人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場所並びに方法で犬を訓練する場合
 ハ 犬を制御できる者が、犬を綱、鎖等で確実に保持して、移動させ、又は運動させる場合
 ニ その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、規則で定めるとき。

二 犬をその種類、健康状態等に応じて、適正に運動させること。

三 犬を飼養している旨の標識を、施設等のある土地又は建物の出入口付近の外部から見やすい箇所に掲示しておくこと。

(特定動物等の飼い主の遵守事項)
第10条 特定動物、人の生命若しくは身体に危害を加えたことのある犬又は人に感染するおそれのある有害な病原体に朽染されている動物(以下「特定動物等」という。)の飼い主は、次の各号に掲げる事項を遵守しなければならない。

一 特定動物等の行動に常に注意を払うとともに、定期的に施設等を点検すること。

二 地震、火災等の非常災害時における特定動物等を逸走させないための対策を講じておくこと。

 
3 警官は法令を順守している。公園管理者も見習うべきだ。 
[ 犬 ]    
 すべての犬がノーリードや放し飼いを禁止されているわけではない。各都道府県が定める動物愛護法にはその例外が定められている。最近話題になっているクマやイノシシを追い払うために訓練された犬もそうだ。猟犬や警察犬もそうだ。しつけのよいおとなしい犬についても例外規定がある。

 東京都動物の保護及び管理に関する条例には、係留の例外として「その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、規則で定めるとき。〔9条1項(二)〕」を上げている。
 その施行規則には犬の飼養の特例として「犬を制御できる者が調教するとき。〔6条(ニ)〕」とある。

 しつけのよいおとなしい愛犬はこの例外規定に該当する。公園で愛犬を運動、訓練、調教したりする場合、リードするかどうかは、飼い主の判断で決めて良いということだ。犬嫌いもいるから、犬はどんな犬でもノーリードはダメだという規定はない。

 民主主義とは物事を多数決で決めることだ。法律条例は多数決の賜だ。それに従って生活しておれば、他人がとやかういうのは横柄で身勝手だ。公園管理の小役人も恥を知るべきだ。コンプライアンス(法令順守)の意識が欠如している。

 その点、警官はコンプライアンス(法令順守)の意識が強い。法令に違反してないことは取締の対象にしてない。愛犬のパナは街でも公園でもノーリードだが、警官から注意されたことはない。下に、その写真集を掲載してある。
 





























































5446.jpg






       
 
4 「犬の係留を規定している法律はない。」と告げても、公園緑地課の課長は「国の定めた法律に従っている。」と言い張る。
 多くの愛犬家が、その課長の虚偽の発言で、犬の放し飼いが法律で禁止されていると信じ込まされている。犬の係留(リード)に関する市政の混乱の悪の根源になっている。その課は愛犬家にとって悪の巣窟、伏魔殿だ。あるという法律を【広報西東京】に掲載してもらいたい。

 自分の職務範囲内の法律条例にさえ無知蒙昧な職員だ。コンプライアンス(法令遵守)の意識が希薄だ。民間企業なら、市民の反発を買い、会社を廃業に追い込まれかねない不祥事だ。職務怠慢ではすまされない。市民にうそをいい、市民をだましている。配置転換すれば市民の市政への信頼も回復する。

 「動物の護及び管理に関する法律」(動物護法)が30年後の平成11年に改名改正された「動物の護及び管理に関する法律」(動物愛護法)にも犬の係留は直接には規定されてない。この法律をうけて、トップに記載のように環境省告示が出されているだけだ。

 動物保護法が動物愛護法に改正された背景には小子高齢化が進展し、犬やねこ等のペットが単なる愛玩動物ではなく、家族の一員、人生の伴侶であるとの認識が高まった社会情勢がある。法律の基本原則に「動物が命あるものであること」、「人と動物の共生に配慮すること」の2点が追加された。

 西東京市の市政には30年ぶりに法律の趣旨が大きく転換された動物愛護法の趣旨が全く生かされてない。東京都の条例にも違反している。
 なお、参考までに付加する。
 政令の動物愛護法施行令で「人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれのある動物」と指定している動物は、いぬ科ではジャッカル、コヨーテ、オオカミ等の猛獣だ。ねこ科ではピューマ、チーター等だ。
 普通の犬やねこが含まれてないのは常識で考えればわかる。法律の読解力以前の問題だ。社会良識が欠如している。まともではない。
 
5 公園緑地課の課長は「公園は公共施設だから、禁止している。」とも言っているが、公共施設なら、法律条例を無視して、一介の課長の権限で何でも禁止してよいのか。
 
 前記環境省告示には、動物の健康保持のために、飼い主は「家庭動物等に必要な運動を確保し、その健全な成長及び本来の習性の発現を図るように努めること。」とある。更に前記の東京都条例には、「犬をその種類、健康状態に応じて、適正に運動させること。」と犬の飼い主の遵守事項を定めている。

 法律や条例の想定している運動場所は公園だ。西東京市にはドッグランを設置した公園はない。西東京市民は、公共施設である公園以外のいったいどう言う場所で、犬の本来の習性の発現を図りながら、犬を適正に運動させるように義務付けられているのか。全国的にみてもドッグランの数はきわめて少ない。設置してない都道府県の方が多い。全国に1200万匹いる飼い犬はいったいどこで運動させるように法律条例は想定しているのか。
 リードした犬は、本来の習性の発現はできない。市民皆が犬を適正に運動させることのできる場所は公共施設の公園以外にない。
 それとも、西東京市民は、環境省告示東京都条例の遵守事項は守らなくてもよいというのか。法律条例を市民が遵守しやすいように市政を遂行するのが市役所の責務ではないのか。

 動物愛護法の付帯決議第3項には
 「飼い主責任の意識の高まりを踏まえつつ、公園等公共施設の利用のあり方についても検討を行うこと。」とある。
公園等公共施設に犬禁止処置をとってきた行政に対して、犬との共生の概念を推し進めるよう注意を喚起している。


 公園緑地課の課長は法律条例に無知蒙昧か、うそを平気でいう男だ。公共施設を正当な理由が無く禁止することは法律違反だ。

 地方自治法第244条は住民が公の施設、すなわち、公園を利用することについて、正当な理由がないかぎり、拒んではならない(2項)と規定し、利用することについて、不当な差別的取り扱いをしてはならない(3項)と規定している。
 公園での犬のノーリードを禁止する正当な理由があるというのか。正当な理由はない。都道府県条例は犬の係留(リード)の例外を認めている。

 愛犬のしつけと訓練を行う最適な場所は公園だ。愛犬に社会性を身につけさせる最良の場所だ。その実践写真集を別項【小犬のしつけと訓練 パピヨン写真集1】に掲載してある。
 
6 【広報西東京】(2004.7.15)に「犬嫌いの人もいるから」との意味の禁止理由を掲示しているが、何事であれ、法律条例を無視して、好き嫌いの感情論で、憲法が国民に保障している幸せに生きる権利を市役所の一介の課長が恣意的に制限してよいと言うのか。
 市役所の職員に法律条例を無視できる権限が付与されているとでも思っているのか。法治国家の良識が欠如している。それで課長職だ。おどろきだ。何かが狂っている。

 総理大臣、知事、市長にも法律条例を無視できる権限は付与されてない。三権分立の憲法の基本原理に反する。国会が制定した法律や都議会が制定した条例を無視している。何のために国会や都議会があるのか。 西東京市の職員として法律条例を遵守するという倫理観が欠如している。市政を執行する職員としては失格だ。西東京市の市政を汚している。


7 公園での犬の放し飼い禁止に協力する市民を市の【広報西東京】(2004.8.1)で募集している。花植えなどの公園の美化活動以外にルール違反者への注意指導もさせるとのこと。

 公園での犬の放し飼いは法律条例に違反してないので、警察でさえ取り締まりの対象にしてないのに、それを市民にさせようとしている。
 その市民には、どういう法律条例に基づいて、どういう教育をして、どういう資格と権限を誰が付与するのか。
 愛犬家と傷害事件等のトラブルがあった場合には、市が責任をとるのか、それともボランティアだから、自己責任であり、前記公園の掲示のように市役所には責任はないとでもいうのか。無責任でなおざりな発想だ。

 犬放し飼い禁止の看板を沢山立てても市民が従わないので、今度は犬嫌いの取り巻きを募集して、愛犬家に喧嘩を売ることにしたのか。幼稚で卑劣な発想だ。餓鬼大将の発想だ。
 仲間の子供達から無視された餓鬼大将が自分の虚栄虚勢のために、ワルの取り巻きを集めて、善良な子供達に喧嘩を吹っかけているようなものだ。空威張りも、度が過ぎると見苦しい。
 ことの是非も考えず、短絡的に何でも禁止して職務上の権力顕示欲を満たそうとしている。その程度の頭脳の持ち主が市政の一部を任されていると思うと暗澹たる気持になる。なげかわしい。

 警官が来ても、ノーリードで愛犬を遊ばせることを止めようとしない市民が多いのに、何の資格もない市民が注意したら、止めるとでも思っているのか。非常識で浅はかだ。喧嘩になるだけだ。

 犬嫌いの味方をして、市民間のいがみ合いを助長することが、市のいう「市民へのサービスの向上」か。ありがた迷惑なサ−ビスだ。ごめんこうむりたい。そんなくだらない不合理なことを考えるほど市役所は仕事が少なく暇なのか。お粗末な市政だ。なさけない。

 公園で犬にリードをして遊ばせている人も市役所の禁止事項に従っているという意識は薄い。犬のしつけが不十分で逃げ出したら困るので、リードが必要という人が多い。しつけができたら、ノーリードにするだろう。その方が犬の習性を生かせるから、人も犬も楽しい。
 
 公園でのノーリードについては「罰則がない」ことは公園緑地課の課長も認めているのに、なぜ市民までかり出して取り締まりを強化しようとしているのか。
 まさかと思うが、市長が犬嫌いなので、その意向に沿おうとしているのか。何事であれ好き嫌いで市政が遂行されるようでは西東京市に明るい将来はない。

 いずれにしろ、自己顕示欲が強く、何でも禁止して喜んでいる小役人根性には壁壁する。井の頭公園等の雇われ監視員が愛犬家から疫病神のように敬遠されていることをわかってない。そのことと罰則の詳細については【犬の係留(リード)に関する条例】に記述してある。

 ノーリードの多くの犬達と子供達が公園で自由にのびのびと楽しく遊び回ることが、動物愛護法のいう「国民の間に動物を愛護する気風を招来」し、ひいては、犬恐怖症の予防にもなり、治療にも効果がある。
 それが動物愛護法のいう「人と動物との共生」だ。「共生」と「禁止」は相反する考え方だ。禁止には人間の傲慢、不遜、横着、横柄がにじんでいる。自分自身も動物であることを認識できずに、犬やねこ等の動物を蔑視している。

 その点を前記の環境省告示家庭動物等の飼養及び保管に関する基準」は、「動物の生態、習性及び生理を理解し、愛情をもって家庭動物等を取り扱うとともに、その所有者は、家庭動物等を終生飼養するように努めること。」と規定している。

 
公園緑地課の課長
が言うような「犬だから、小犬でも放し飼い禁止」とはその趣旨が違う。
犬の生態、習性は野原や公園で思い切り運動することだ。それを飼い主が愛情をもってやってあげること大切だ。
 犬、ねこ等の愛玩動物から得られる喜びや心の癒しははかり知り得ないほど大きなものがある。国も、そのことを国民に理解させるために、動物保護法から動物愛護法に改名改正したのだ。西東京市の市政には、その趣旨が反映されてない。何故だ。
 公園での犬の放し飼い禁止は人にとって失うものの方が多い。
 動物を愛する市民に対する職務怠慢だ。「禁止」という後ろ向きな市政ではなく、「動物を愛護しましょう」と言う前向きな市政はできないのか。国だけでなく、西東京市民も動物愛護を強く望んでいる。

 その実践写真集が【小犬と遊ぶ公園の子供達と犬恐怖症 パピヨン写真集2】に掲載してある。

 犬恐怖症についてはその原因と治し方、および犬飼養者の対処法を【犬恐怖症の人への配慮】に記述してある。
  
 犬による人身傷害事故は公園では殆ど発生してない。その殆どが住宅街だ。公園に連れ来る犬達はしつけがよく、おとなしいだけでなく、かわいがられて、運動も十分にしているので、ストレスがたまってないのだ。人とも他の犬とも友好的だ。
 一方、人身傷害事故をおこす犬は公園などでびのびとした気分を満喫することもなく、その一生を係留されたまま終わることになる犬だ。ストレスが充満している犬だ。
 犬が悪いのではない。飼い主に問題がある。そのことは明確に区別して理解しておく必要がある。

 犬はその進化の過程で人に従順忠実な遺伝子が組み込まれたといえる。本質的に人と敵対する動物ではない。飼い方が悪いから、我慢できなくなって、ストレスを発散するのだ。
 人と同じだ。抑圧され、欲求不満になった人は犯罪を起こしやすい。だから、人は皆犯罪予備軍だと色眼鏡で見るのは分別がなさ過ぎる。何事であれ、きわめて特殊な事件を取り上げ、それですべてを判断するのは思慮がなさ過ぎる。
 犬も同じだ。圧倒的に大多数の犬は皆善良な犬だ。
 
 
8  【広報西東京】(2004.9.1)に「公園はみんなのもの ルールを守って楽しく利用しましょう」との見出しで犬の放し飼い禁止が記述されている。
 このサイトを開設し、その印刷物を西東京市長はじめとする関係先に郵送した後に発行された西東京市の広報だ。このサイトに対する回答とみる。

 一見何の問題もなく当たり前の呼びかけのように思える。ところが、この呼びかけには民主主義の根幹を否定するような小役人の歪曲した精神が隠されている。

 ここで言うルールとはいったい何かということである。法律条例よりも上位にあるものなのか。法律条例に違反しているル−ルでも、市民はそのルールに従わなければならないのか。いったい何処の「何様」が作ったルールだから、市民は有無を言わずに従わなければならないのだ。
 「北」の偉い将軍様のような独裁者が西東京市市役所にもいるのか。

 我が国は法治国家だ。すべてのことは憲法法律条例に照らして、ことの是非を判断する国だということだ。どんなことをしても、憲法法律条例に違反しなければ罪はとわれない。
 一方、憲法法律条例に違反すれば、いかなる人も断罪される。それが法治国家だ。

 その憲法法律は国会が、条例は都道府県市町村の議会だけが制定する権限を付与されている。その条例は憲法や法律に反しない限りにおいて制定することができる(憲法94条、地方自治法14条)。

 市役所はその憲法法律条例の範囲内で行政を執行できる機関にすぎず、立法の権限は付与されてない。すなわち、立法機関ではない。

 ところが、西東京市の市役所には、国の法律や東京都の条例を無視して、自分好みのルールを制定できる立法権まで掌握していると思いこんでいる第二の将軍様がいるようだ。
 
 民主主義の三権分立の基本原理は中学生でえ理解しているのに、西東京市は課長でさえその原理を理解してないようだ。行政機関が立法権まで掌握すると、どんな悪政もできるようになる。それを防止するために、司法、立法、行政が分離独立していることをわかってない。市役所が勝手にルールを作り、それを市民に強制することは憲法違反であることをわかってない。

 市役所の課長は偉いので、法律条例を無視して、自分の一存でどんなル−ルも作れる、つまり、立法権もあると思いこんでいるようだ。社会良識が欠落した人間だ。その程度の学識教養もない人間が市役所の課長とは驚きだ。あきれて、なげかわしい。

 民主主義の原理を否定する小役人の横暴を黙認すると、悪政は更に悪くなる。西東京市のこれから先の行政をよくするためには、憲法法律条例を無視する無法な悪徳小役人に鉄槌を下すことが先決だ。それなくして、明るい市政はない。
 
その独裁的な第二の将軍様は次のような理由に基づいて、ルールをお作りになったようだ。

子どもが遊ぶ砂場にフンがある」、「引綱(リード)をはずした犬にかまれそうになった」などの苦情が多いので、その人たちのためにルールをお作りになったと広報に記述してある。
 そのくらいのことで、お偉い将軍様は市民に強制できるルールをお一人で恣意的に作れるのだ。そのル−ルは市民の生活行動を規制し、制限できるのだ。すごい権力だ。

 唖然とするが、本人は異常とは思ってない。総理大臣でさえ憲法法律条例を無視できないのに、市役所の職員は憲法法律条例を無視できる強い権限が付与されていると思いこんでいるようだ。だから、自分が作ったルールを市民が守るように、【広報西東京】(2004.9.1)に広報しているのだ。
 
 社会良識の良否よりも、その精神構造を疑いたくなる。小役人根性の不合理、理不尽な暗部をかいまみる思いだ。憲法法律条例に違反し、当然無効で何の効力もないルールなのに、それを市民に強制している。悪政というより狂った行政行為だ。
  「北」の国ならいら知らず、日本の良識のある市民は独裁者が恣意的に作ったルールには従わない。無視する。公園に乱立している禁止看板は多くの市民から無視されている。公園の美観を害しているだけだ。

 市役所の一介の課長が恣意的なルールを作り、それを市の広報で市民に強制することは、民主主義の根幹を覆すほどの問題だ。

 民主主義は何事も当然多数決で決める。砂場で遊ぶ子供よりも、その砂場遊びを卒業した小学生以上の人の方があるかに多いし、その中の愛犬家もはるかに多い。何故、少人数のために大多数の人が我慢を強いられるのだ。民主主義の原理に反する。

 どうしても、砂場遊びの子供達を擁護したいというなら、別の方法はいくらでもある。何故、短絡的にいきなり、犬の放し飼い禁止に結びつけるのだ。
 
 「引綱(リード)をはずした犬にかまれそうになった」などの苦情は犬嫌いな人の慣用語だ。
新聞テレビで犬による人身傷害事件が報道されると、鬼の首でも取ったかのように、「だから、犬の放し飼いは禁止だ」と掲示板の投稿がにぎやかになる。
 次のようにレスポンスしている。

 「新聞テレビ等で広く報道されたように、中学生の少女が同級生をカッターナイフで切り殺した事件がありました。ショッキングな悲しい事件です。
 このことで、すべての中学生の少女は殺人を犯すおそれがあると、警戒するのは短絡的過ぎます。何事であれ、きわめて特殊なことを取り上げて、全体を皆そうだと決めつけるのは思慮がなさすぎます。

 毎日のように殺人強盗傷害事件が発生している昨今です。でも、それは特殊な事件です。圧倒的大多数の人は皆善良な人です。その善良な人を色眼鏡をかけて見るのは、良識のある物の見方といえるでしょうか。
 
 犬についても同じことが言えます。
現在、日本には約1,200万匹の犬がいると推定されています。その中で傷害事件を起こす犬がいてもおかしくありません。特につながれぱなしで飼われている犬はストレスがたまって凶暴になることはありうることです。
 どのような犬が傷害事故を起こしやすいかについては、このサイトの【公園ではノーリード 動物愛護法と愛犬】に詳述してあります。」と記載し、前項7の後半の記述の参照を勧めている。
 
 
 公園緑地課の課長は理由はどうあれ、犬の放し飼いを何が何でも禁止したいという狂信的な思い込みがあるのではないかと疑いたくなる。小役人としての権力顕示欲を誇示したいのだ。餓鬼大将の強がりと同じだ。
 
 何者であれ、ルールとか、マナーとか言って、何かの禁止を強制しようとしている場合は、その根底に潜めている理由を考えてみることも大切だ。たいていの場合、法律条例に適合していることを無理矢理に禁止しようと企んでいることが多い。

 公園での犬の放し飼い禁止の場合、禁止の根拠となる法律条例がないので、すなわち、法律条例は公園での犬の放し飼いを禁止してないので、自分で自分好みのルールを作ったということだ。何が何でも禁止して、小役人の禁止欲を満たすためだ。それが【広報西東京】(2004.9.1)に掲載されたのだ。

 オカルト宗教のオオム真理教は教団が決めたルール違反を理由にリンチ殺人を犯したのは周知の事実。当然、その犯人には死刑の判決がでた。

 富士山は小役人と結託した観光登山業者が身勝手に作った「富士山にはゴミ箱はありません。必ずゴミは持ち帰りましょう。」というルールを登山者に強制したために、富士山をゴミの山にして世界遺産の候補地にさえならない山にした。自業自得の墓穴を掘った。詳細は別項【富士山のゴミと世界遺産 誰がゴミの山にした?】に記述してある。

 思慮分別のない人が恣意的にルールを作り、マナー云々を言い出すと、多くの人はそれを無視する。そう言う人に従うのは良識のある善良な市民としてのプライドが許さないのだ。同程度の人に見られるのが我慢できないのかもしれない。
 
 なお、犬の名誉のために一言付加する。

 犬は砂場に糞尿をする習性はない。砂場に糞尿をして、その上に砂をかけるのは猫の習性だ。何でも犬のせいにして、放し飼い禁止の理由にしようとしても、世の中の人はそれを見抜く。
  
 西東京市に隣接している東京都練馬区のボ−ト遊びもできるほど大きな武蔵関公園は3,4年前までは犬放し飼い禁止の看板が乱立ぎみだったが、今は撤去されてすがすがしい公園になっている。
 その代わり、砂場は犬が入れないように鉄の柵で囲まれている。犬嫌いの子供も柵の中で楽しく遊べるようになっている。砂場の糞尿を西東京市のように犬のせいにできなくなった。やれやれだ。

 
 公園緑地課の将軍課長はそんなことはしないだろう。すると、犬の放し飼い禁止の理由がなくなる。何でも禁止して生き甲斐を感じている将軍課長の楽しみがなくなる。

 コンプライアンス(法令順守)の倫理観が欠如し、偏見と独断だけの将軍行政が永続するようだと、西東京市に明るい明日はない。文化都市としても後進地域のままだ。

 
 公園でよく見かける噴水のように水が上向きに飛び出す水飲み用の蛇口とその横下に手洗い用の蛇口のある水飲み場のその手洗い用の蛇口の下に「この水飲み場で、犬に直接水を飲ませないこと」との市名入りの掲示がある(右の写真)。

 この掲示は犬に関する偏見を助長し、犬を蔑視し、動物虐待につながる行為だ。公園に毒ダンゴをまくような犯罪を誘発しかねない。

 子供の教育にも悪影響を与える。動物は汚い生き物だという誤った観念を植え込むことになる。動物を愛護する心が薄れ、誤解して虐待し、やがて、平気で殺傷するようになりかねない。
 動物愛護法に違反している。

 教育長に聞きたい。この掲示は西東京市の教育方針に合致しているのか。子供心に動物を愛しむ心が育つことに役立つ掲示だと思うか。
 犬が手洗い用の蛇口から水を飲むことを禁止することは、子供達の情操の涵養に貢献するのか。有害無益な掲示だ。教育長の権限で、この掲示の撤去を命じてもらいたい。
 
 前記の動物愛護法には、その目的(1条)と基本原則(2条)に「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重の情操の涵養に資するとともに・・・動物が命あるものでさることにかんがみ、・・・人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。」とある。
 また、前記の環境省告示には、愛玩動物の飼育により、情操の涵養がなされることが明記されている。

 さらに同法第3条には、「国及び地方公共団体は動物の愛護と適正な飼養に関し、教育活動、広報活動等を通じて普及啓発を図るように努めなければならない。」とある。

 手洗い用の蛇口から犬が水を飲んだら適正ではないというのか。それとも、他に禁止する科学的な根拠があるというのか。日本全国に約1,200万匹の犬がいるが、公園の蛇口から水を飲んだために、問題を起こした事例があるのか。 
 盲導犬セラピー犬に常時お世話になっている人々には何の問題も起こってない。起こる筈がない。愛犬に感謝しながら楽しく生活している人々に無礼な掲示だ。いわれのない差別行為だ。市政としてやるべき行政行為ではない。

 動物愛護法の趣旨を全く理解してない一部不良職員の愚行だ。美観も重要な要素である公園に、汚い異物を貼り付けてある感じで、見る人に不快感を与える。
 子供達に与える影響を考えると、悪質な無頼者がする公共の建物への落書きよりもタチが悪い。法律を守るべき役人が法律を破っていることを子供達は理解できずに、犬やねこなどの動物は汚い生き物と誤認してしまう。
 アニマルセラピー(動物介在療法)は療養中のご老人等の心理療法の一つとして欧州で発達し、日本にも導入されて実績を上げている。ご老人だけがセラピー犬から心を癒され、元気を回復するのではない。子供も大人も皆、愛犬との接触で心が癒され、元気になるのだ。情操豊かな生活を享受できる。
 新潟県中越地震の被害地では日本レスキュ−協会のセラピー犬4頭が活躍し、多くの被災者の心を慰め、感謝されたと報道されている(読売新聞05/1/11)。
 
  日本では現在、10人に1人の割合で犬を飼っている。その人達は皆、自分の愛犬をセラピ−犬と思い、かわいがり、心を癒されている。犬と人は共に哺乳類という動物だ。どんな接し方をしても悪いことは起こらない。心が癒され、楽しくなる。
 その写真集を【人それぞれのセラピー犬 犬のカタログ パピヨン写真集3】に掲載してある。

犬が公園の手洗いの蛇口から直接水を飲んだら、問題があると思う人は、その人の受けた情操教育や家庭環境に問題がある。病的な偏見の持ち主だ。

 この掲示の責任者の精神構造は立山のライチョウに皮膚病が蔓延したときに、犬が原因ではないかと偏見報道をした朝日新聞の低俗記者の精神構造と同じだ。
 自分自身がヒトという動物であることをわかってない。無菌の神や仏に近い存在だと思いこんでいる。生物学的には霊長類のホモ・サピエンのヒトであり、イヌと同じ仲間の哺乳類に属する動物だという認識がない。無知蒙昧で傲慢不遜ということだ。詳細は別項【ライチョウの絶滅激減は犬のせい? 犬登山禁止で絶滅しない?】に記述してある。

この掲示は法律に反するだけではない。市民を愚弄したいやがらせだ。
役人意識が強く、権力顕示欲の強い小役人根性の権化みたいな職員の愚行だ。何でも禁止して、市民の生活を窮屈にして喜んでいる不埒な職員の愚作だ。
 

 重箱の隅をつつき、箸の上げ下ろしまで市民に指示するほど市役所はやるべき仕事が無く暇なのか。余剰人員の削減が必要だ。

 西東京市は財政力指数が0.86で毎年1割以上の赤字財政が続いている。都市計画税の増税、水道料金の値上げ等の増税だけのびぼう策では再建不能に追い込まれる。その財政再建のためにも人員削減の対象にすべき不良職員だ。まともではない。何かが狂っている。
 
 
 
 既述のように動物愛護法第3条には、「国及び地方公共団体は動物の愛護と適正な飼養に関し、教育活動、広報活動等を通じて普及啓発を図るように努めなければならない。」とある。

 市民に法律条例の内容を正しく伝えることが市の文書課や広報広聴課の責務だ。それをしないのは何故だ。法律条例違反の市政を黙認しているのは犯罪への荷担と同じだ。職務怠慢以上に悪質だ。
 動物保護法が30年ぶりに動物愛護法に改名改正され、犬が愛玩動物又は伴侶動物(コンパニオンアニマル)として保護が強化されたことと、犬の公園での放し飼いについては条例に例外規定のあることを市民に【広報西東京】で正しく広報することを求める。
それが市民が期待している正しい「市民へのサービスの向上」だ。

 市民に遵法精神を求めるなら、市民に法律条例の正しい内容を広報することが先決だ。それが明るい市政の源泉だ。 
 
10  西東京市の市政は動物愛護の精神が欠如しており、動物愛護法と東京都条例に違反している。

 
西東京市は公園を管理する一介の課長の権限で法律条例を無視して、犬の好き嫌いで市政を遂行している。法律に無知蒙昧なだけでなく、社会良識も欠落している不良職員による歪曲した市政が永続するようだと、市民も安穏として現行の市政を信頼しているわけにも行かなくなる。

 犬等の愛玩動物に関する市政公園管理も文化都市として世界に恥じないような市政を望む。欧米先進国にくらべ後進地域だ。心の豊かな文化都市でないということだ。
 欧米先進国では犬の飼養は基本的に自然に近い状態で飼養することを基本にしていることを付言する。
   オリンピック開催地アテネは犬は放し飼いであり、街には飼い主のいない犬も多い。捕獲して狂犬病の予防注射をして新しい首輪をつけ、また、放す。殺すことはしないとNHKが放映している(2004.8.10)。
動物愛護法や各都道府県の条例はしつけのよいおとなしい犬まで強制的に放し飼いを禁止する趣旨ではないことを市民国民一人一人が理解し、日本を経済大国だけでなく、心の豊かな国にしましょう。皆の力で。
 
11  公園ノーリードの犬達の写真集1   
 動物愛護法の趣旨を遵守して、公園で愛犬をノ−リ−ドで遊ばすことはよいことだ。市民の間に犬を愛護する気風を招来し、人と犬との共生に配慮しながら、犬の習性を考慮して、公園でノーリードで愛犬を訓練し、調教し、遊ばせている。
 それは子供達の情操の涵養にも貢献することになり、命ある動物を愛しむ慈愛の心が育つことになる。子供達が高い学力だけでなく、情操が豊かで世界に通用する教養の高い大人に成長することを願っている。
2004年9月24日満1才誕生日の写真。
体重 2,750g        文理台公園
街でも公園でもノーリード。
リードするのはスーパーでの買い物の時くらい。店のおじさんが喜んで遊んでくれる。
東京都小金井公園 3月 花粉が飛びやすい陽気な日 よく似たパピヨンもノーリードで走りまわって遊ぶ。
飼い主が違うキャバリアたち。 みな仲良くあそぶ。パナは写真撮影のため、おすわり中。
生後6ヶ月のミックス。おとなすくおすわりして、ハイ、ポーズ。 断尾断耳のミニチュア・シュナウザー。よく動き回る。
東京都あった小金井公園で会ったチワワ。 散歩中にあった体重が2倍以上もある同じパピヨン。13歳で耳が遠くなっているとのこと。しつけがよい。
東京小金井公園 ビアデッド・コリ−たちがノーリードで遊ぶ。 犬の係留には例外規定があり、公園ではノーリードにしてもいいのだと喜ぶ飼い主たち。
大型犬のセント・バーナード
しつけがよくおとなしい。
公園によくつれてくる犬はかわいがられており、ストレスが溜まることはなく、他人に危害を加えるようなことはない。
体重2kg程度のチワワ。ノーリードにしても他人に迷惑をかけるようなことはない。 公園のやとわれ監視員はリードを強制する。非常識で法律条例違反だ。税金の無駄使いだ。しかも、市民を不快にしている。
初めて会ったのに、ノーリードで仲良く遊ぶ。 ノーリードを禁止している小金井公園の所長は「法律のことは知らない」と平気でいう。法律を知らないで、市民にリードを強制している。何かが狂っている。
真冬の東京都小金井公園。 愛犬の写真を撮ってもらうために愛犬をつかまえている少女。
ノーリードで走り回って喜んでいる子犬たち。 2004.12.26(日)
服のデザインが犬によく似合っているプ−ドル。 自分のボールを横取りされておとなしく戻ってくるプ−ドル。
日本で最も頭数の多いダックスフンド。 こちらではダックスフンドに自分のボ−ルを他犬に奪われている。
喜々として走り回って遊ぶ愛犬のパナ。 ここにもダックスフンド。
ここにもダックスフンド。ノーリードが似合う犬。 危害をくわえるおそれのない愛犬はノーリードで広い公園でのびのびと遊ばせると、犬も人も幸せになる。
キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル 「写真とるの?」と人なつこくよってきた。
ボーダー・コリー 賢く運動能力の優れた牧羊犬。 1歳前後なのにしつけがよく、ノーリードで訓練に喜んで従う。文理台公園。

東京小金井公園 ノーリードのダックスフンドとパピヨンが嬉々として走り回る。 子供たちも一緒になって走り回る。
昔のスピッツと違い、最近のスピッツは啼かないようだ。 生後3ヶ月のスピッツは走り回り、写真を撮るのに時間がかかった。
ボール投げ遊びに夢中になっているキャバリア二匹。 愛犬のパピヨンも割り込んでボールを取ろうとするが、失敗が続く。
ノーリードの犬達が集って仲良く遊ぶ。 チャイニーズ・クレステッド 内気な性格で、せっかくノーリードにしてもらったのに、物陰に隠れている。根気よく他犬と接する機会を増やせば仲良く遊ぶようになるのでは。


黒ラブの愛称で呼ばれるほど親しまれている犬種。 ノーリードにしても人に危害をくわえるおそれのない犬だ。頭がよく、おとなしく、従順。
シェットランド・シープドッグ  ラフ・コリーを小型化したような体型。 賢く素直。しつけがしやすい。子犬とも仲良く遊ぶ。

左もシェットランド・シープドッグ  ノーリードで皆仲良く遊ぶ。 トイプードル たれ耳に上を向いた尾。明るく人懐こい。

ミニチュァ・ダックスフンド 人気犬。物覚えがよい。 右はワイヤーヘァ・ダックスフンド 飼育数がすくない犬種。
ここにもトイ・プードル カット次第で容姿がかえられるので人気抜群。 遊び好きで愛情が豊か。よく動きまわる。ノーリード。


生後6ヶ月のボーダー・コリ− 公園に初デビュー。 ノーリードで走り回るのもはじめて。


両犬とも嬉々として走り回って仲良く遊ぶ。時には全速力で。 西東京市 文理台公園


秋田犬? 小金井公園で威風堂々とノーリードなので、撮影に夢中になり、犬種名を聞くのを忘れた。 よくしつけられていて、飼い主に忠実。小犬にも友好的。


右:ブラウン&白のパピヨン ノーリードが大好き。 公園ではノーリードで自由に遊ばせると、犬も知恵がつき、しつけもしやすくなる。


ラフ・コリー 単にコリ−といえば、このラフ・コリーをいうほど「名犬ラッシー」で広く知られた犬種。 賢く温和で忠実。子供とも仲良く遊ぶ。


ヨ−クシャー・テリア 三角の立ち耳。断尾することも。 小金井公園で初デビュ−の大カメさん。ノーリードの仲間。


糞尿は臭く、大きな水槽が必要とのこと。 愛犬が物珍しそう。頭を引っ込めるので、はてな?
写真集のつづき あと63枚  公園ノーリードの犬達の写真集2 
 
           
           
愛犬と登山 パピヨンと高山200回以上の教訓 愛犬と登山
公園ではノ−リ−ドの写真集   最上部に戻る。公園ではノ−リ−ド 動物愛護法と愛犬   
 ノ-リ-ド関連条例の解説
 条例に犬ノーリードでよいこともあると規定 他人に危害を加えるおそれのない犬
 公園でノ−リ−ドで遊ぶ愛犬たちや珍しい愛犬たちの写真集
 公園ノ−リ−ドの犬たちの写真集2
 
     開設 2004.8.8  Counter
 
著作権フリー  文章写真の引用転載はご自由にどうぞ。
ただし、著作権法の定める出所の明示として
リンクをつけて原文全体を確認できるように願いします